Juraがいなくなってしまってから2ヶ月。
あっという間のような気もするし、随分長かったような気もする。
犬のいない生活になって、朝起きられなくなり、散歩にも行かないので歩くことが少なくなり、完全に不健康な日々になってしまった。
Juraと散歩をしていた日々が貴重なものだったことに今さら気付く。
Juraとふく、Juraとクッチ、2匹もいた頃は本当に贅沢な日々だったんだなと思う。
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これまで3頭の犬たちと暮らし、見送ってきた。簡単にそれぞれの介護生活と最後の日々を記録しておきたいと思う。
ふく(柴犬)が15才4ヶ月、クッチ(Mix)が推定16才、Jura(ボーダーコリー)が13才7ヶ月。
ふくはJuraを迎えた13才の頃から少しずつ認知症の症状が出てきて、亡くなる前は家族のことも分からなくなってしまった。後ろに下がることが出来なくなって、前に進めなくなると邪魔なものをかじったり、サークルをクルクル回れるようにするとよく回っていた。また食ムラはあったが、食べてはいたのに体重がかなり減ってしまい、通常8~9kgくらいだったのが確か5kg台くらいまで落ちてしまった。
ちなみにクッチとJuraは最後に食べなくなってしまうまでは、体重はほぼ変わらなかった。
1週間ほど前からほぼ寝たきりになったが、前日の夜までご飯を食べて、本当に眠るように逝ってしまった。今思えば最後の数日間はふくが一番楽だった。
排泄は外(主に庭)だったため、認知症の症状が出てからは室内でもしたい時にするというか、でちゃう感じになってしまった。抱っこしている時に大が出てしまったことも。
クッチは推定14才の時に目の病気でほぼ見えなくなってしまったが、その後もしばらくは散歩にも行き普通に生活をしていた。ただ、目薬は数種類を1日に何回もさしていて、種類は増えていった。
15才になってから初めて発作を起こし倒れてしまいかなり焦ったが、その後も数回発作はあったものの約1年頑張ってくれた。散歩は抱っこで外に行き、道路に下ろしても歩かなくなってしまったので、数ヶ月前から庭を歩くのみだった。
亡くなる1週間ほど前から食べることが出来なくなり、数日前から水も飲まなくなってしまい、痙攣を起こして獣医さんと安楽死についても話をしていた日に逝ってしまった。
クッチも外排泄だったのだが、発作の時はもちろん、特に大の方は意識せずに出てしまうことが最後の1年は多々あった。そう言えば、クッチは病院の待合室で抱っこして待っていた時に何か温かいと思ったら、大が出てしまっていて焦ったことがある。
Juraは半年前に腎臓が悪いことが分かり、自宅での点滴等もしていたが、血流が悪く他の病気になることもありうると獣医さんには言われていた。ただ、Juraはもしかしたら隠していたのかもしれないが、変わらず遊びも散歩も大好きで3週間前まで一緒に散歩することが出来た。
約3週間前に右半身がきかなくなってしまい、移動するのにフォローが必要になったが、1週間くらいはまだ自力でクレートからベッド、ベッドからクレートなど移動していた。
10日ほど前から食欲がなくなり、3日ほど前から水も飲まなくなり、1日前からは多分意識がなかった。
Juraは室内のシートで排泄していたので、5日前まで自分でトイレに行くと意思表示をしてきた。上手く歩けなくなってしまっていたので、トイレに連れて行くとちゃんとする。室内トイレの習慣をつけておくと、老犬介護の状態になってからも楽なのだなと思った。短い期間で逝ってしまったというのもあるが、排泄関係はJuraが一番楽だった。
たった3匹の経験しかないが、老犬介護といっても三者三様。同じことはないので、準備をしておくといっても難しいが、共通して言えることは夜中に起こされたり、抱っこしたり、歩く時や排泄時に体を支えたり、体を持ち上げて拭いたり、寝たきりになったら体の向きを変えたりなどこちらの体力は必要だということかもしれない。
私にとってはJura(15kg弱)よりも大きい子を介護するのは無理だったので、Juraが大きめなボーダーコリーでなくてよかった。
特にクッチは元保護犬ということもあり、どうしても1人で逝かせたくないという気持ちが強かったが、3匹とも自宅で見送ることが出来たのは本当にラッキーだったと思う。